不惑オヤジ(と娘)の将棋な日々

アラフォー親父と小学生娘の悪戦苦闘の記録

月別アーカイブ: 4月 2021

「上達を実感する」ということ

将棋に取り組んでいると誰もが、なかなか、上達しない、どうすれば上達できるのか、という壁にぶち当たる。

これは別に将棋に限らず、競技に取り組んでいると、誰もが一度は必ず突き当たる壁だろう。壁に突き当たったとき、その壁を突き破る有力な原動力は、「上達を実感できること」ではないだろうか。昨日の自分よりも今日の自分が少しでも進歩していることを何らかの形で実感できれば、それを積み重ねることで、いずれ目の前の壁を突き破る自分の姿を想像しやすく、その時へ向かって頑張ることができるのだと思う。

なので、一般的な勉強法のノウハウなんかを見ると、だいたい「上達の可視化」という概念が登場する。上達度合いが目に見えて解るようにすることで、上達が実感できて、モチベーションが維持、上昇する。そしてさらなる上達に繋がる好循環を生むというわけだ。

ところが、困ったことに将棋というゲームはこの「上達の可視化」が非常に難しい。解りやすいのは、実際の対局成績であったり、ネット将棋でのレーティングの上昇だろう。だが、これらは大きく実力が伸びてないと、目に見えた変化が起こらないものだ。なので、これらを目標にしてしまうと、いくら頑張って取り組んでもなかなか進歩が見えず、負けが続くと無能感に苛まれ、やがて心折れてしまう。そんな経験を実際に筆者もした。

「上達の可視化」は、僅かな進歩の積み重ねを実感できることが大事なのだ。これを勉強法の世界では「スモールステップ」と呼ぶのだが、将棋はこのスモールステップの課題設定も、その課題をクリアできているかの評価も非常に難しいのだ。

筆者は最近、Nintendo SWITCHの「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」(以下、「スマブラ」)という対戦格闘ゲームに少しハマっている。元々、娘達に付き合って始めたもので、実力はまだヘボヘボのヘボだ。オンライン対戦では底辺中の底辺層を這いずり回っている。娘達の実力も似たようなものなので、家ではなかなか熱い攻防が繰り広げられてはいるのだが。

なんで突然「スマブラ」の話を持ち出したか。それは、「スマブラ」はスモールステップの課題設定が将棋に比べると遙かにやりやすいということに気づいたからだ。

もちろん、底辺中の底辺層である筆者はオンラインでは負けることの方が圧倒的に多い。正確に数字を取っているわけではないが、だいたい7:3、下手したら8:2くらいの割合で負けているかもしれない。勝ち星はなかなか増えていない。だが、それでも筆者は着実な進歩を感じられている。それは、スモールステップで筆者が進歩しているのがちゃんと見えるからだ。

「以前よりも崖外からの復帰の確実性が増した」「小ジャンプが安定して出せるようになった」「復帰阻止の成功率が上がった」など、勝敗とは無関係に、進歩が比較的解りやすく評価できる。戦績を上げるためにに必要となるスキルは割と明確かつ細分化されていて、それらを一つ一つ課題として、クリアしていけば良い。課題がクリアできているかどうかの評価も比較的容易だ。

それに気づく前は、スマブラでもオンラインで負けが込むと苛々が募ったものだが、最近は負けても意に介さなくなった。自分が前より少しでも成長しているかどうかが勝ち負けよりも重要で、そのための取り組みを決めるのも、成果を測ることも比較的容易だからだ。最近はできることも色々増えてきて、スマブラが楽しくなってきている。戦績は相変わらず底辺を這いずり回っているのだが。

さて、それに比べて将棋はどうだろうか。詰将棋が解けるようになること、手筋を身につけることなど、スモールステップの課題設定はそれほど難しくはないのかも知れないが、課題がクリアできているかの評価となると、これが格段に難しくなる。詰将棋を解いたって、そのままの形が実戦に出るわけではない。手筋を学んでも、それを使う機会が実戦に現れる頻度はそう多くない。定跡を学んでも、その通りに実戦が進むわけではない。

課題を設定して一生懸命頑張っても、課題がクリアできたかどうかいつまで経ってもわからない。そして成績もレーティングもなかなか上がってこない。新しいことをやろうとするとむしろ戦績は落ちることもある。改めて考えると、これで心折れない方がむしろ不思議だと思う。将棋クラスタはもしかしてとんでもないマゾヒストの集まりなのではなかろうか。

スモールステップの課題設定と、その評価。この汎用の上達メソッドに将棋を当てはめるなら、評価の部分が鍵になってくるのだが、これまで「これは」と思うような方法に巡り会ったことはない。ここを確立することができれば、将棋訓練・指導の世界に革命が起きるんじゃなかろうか、とすら思ったりする今日この頃であった。