不惑オヤジ(と娘)の将棋な日々

アラフォー親父と小学生娘の悪戦苦闘の記録

荒れた電王戦

電王戦最終局、異例の「21手投了」に至ったAWAKEの真意は 「一番悪い手を引き出して勝っても意味ない」

なんだか今回の電王戦は物議を醸してばっかりですね。角不成事件といい、最終戦の21手投了といい、後味が悪すぎる。

上記記事の件に関してはプロ棋士側、ソフト側(含開発者)それぞれに問題があったんじゃないかと思ってます。

プロ棋士側の問題は「プロ意識」という言葉に集約されると思います。

以前にも触れましたが、プロ棋士の第一存在意義は「将棋を通してファンを楽しませること」です。勝つことはその手段の一つでしかありません。

なので阿久津八段がソフトの既知問題を利用して意図的に悪手を引き出しすような指し回しを選択したのは私的には残念です。勝利のみを追い求め、魅せる仕事を放棄した指し回しと言われても仕方ないと思います。第二戦、永瀬六段の角不成も同様。「成でも不成も勝ちだった」ならばなおのこと、きちんと将棋として成立させる手を選ぶのがプロではないのかと。

ただ、ソフト開発者側がそれを言い訳にしてプロ棋士を批判するというのは、これはこれで筋違いでしょう。

バグもソフトウェアの一部であり、バグの有無がソフトウェアの品質を決定づける要素の一つであることは、ソフトウェア開発に携わる者ならば常識です。一定の手順で早々に角損するようなプログラム、角不成で王手を誤認するようなプログラム、そんな指し回しを許すのはソフトの品質が不足しているだけであって、そこを突くような指し回しをした人間を批判するのはソフトウェア開発者として実に見苦しい。バグを作り込んだ自分の能力不足をこそ悔いるべきでしょう。

「すでにアマチュアが指して知られているハメ手をプロが指してしまうのは、プロの存在意義を脅かすことになるのでは」

こちらの言い分はまだ賛同できなくもないですが、だったら観客が観ている舞台であんな早々に投了させるような選択も褒められたものではありません。プロに出場してもらっている以上、将棋という勝負を魅せることに協力する道義的な義務があるはずで、それを一方的に放棄するのはいかがなものでしょうか。

「一番悪い手を引き出して勝つというのは、何の意味もないソフトの使い方」

これに至ってはもう何を言っているのかと。電王戦は人間vsソフトの勝負であって、有意義なソフトの使い方を探る場ではないでしょうに。序盤早々に角損するようなバグがあることが明らかなら、それは単に電王戦出場に値する品質に達していなかったとしか言えません。プロの存在意義をどうこうとか偉そうに言う前にAWAKEは電王戦を辞退すべきだったと言いたくなります。ソフトウェア開発の現場風に言うならば出荷延期って奴です。

もっともこれについては、一度提出したプログラムは(バグが判明しても)一切の改修が許されないという電王戦のレギュレーションにも問題があって、ソフト開発者に同情する余地がなくもないです。少なくとも、一定の持ち時間+秒読みというルールで既にプロ棋士の分が悪いというのはもうほとんど事実と言って良く、それ以降はいかにプロ棋士に勝ち目を作るかという観点のルール作りになっている感は否めません。事前研究用に貸し出して、それ以降は一切の修正を認めないというルールは、将棋が本来人間対人間の対決であることを考えると極めて不自然なルールです。

仮に電王戦に出場して勝ったからってプロ棋士の側に何かメリットあるの?プロ棋士だけがリスク背負ってるよね?という問題もありますし、ことほど左様に電王戦は色々難しい問題をはらんでいます。

なので、電王戦が今回で終了になるのは、結果的にいい判断だと思います。今回の件でまた色々問題が見えてきましたが、かといってこれ以上興業として良い形にする道筋も見えませんし。

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